バス停のある施設に主人を送り届けたあと、
わたしと息子は幼稚園に向かいました。
その朝、「パパは仕事に行く」と聞かされた息子は、
久しぶりに見たスーツ姿のパパを、散々褒めちぎって笑顔でお見送り。
母子二人になってから、幼稚園へ向かう車の中で、
息子が急に「パパなんのバスに乗るのかな?」と。
「パパは、赤いバスに乗るんだよ。」
と答えたところで、
息子は今までにないくらい激しく泣き出しました。
「赤いバス」は空港行きのバスで、
パパが飛行機に乗って遠くに行くと悟ったからだと思いました。
幼稚園に到着して、車から降りる時に半べそをかきながら、
「あっ!パパとテレビ電話すればいいのか!」と言い出したのも束の間。
その思いつきはわたしの
「パパ、スマホ持ってないでしょ。」
という言葉で打ち砕かれてしまい、
再び泣き崩れて、散々泣き散らす始末。
移住する前も、月に10日くらいの出張に出かけることがあって、
その時は案外クールな感じで見送りをしていた息子なのに。
この日は違いました。
園に着いても泣き止まず、
なかなか教室に入れなかったのです。
この時のわたしは、
泣き止んでくれたら、主人の乗ったバスを車で追いかけていこうかと、
そんなことまで考えていました。
別れ際の感じが、なんだか引っかかって…
コロナ禍だったこともあって、
わたしたち家族3人はとても濃密な時間を過ごしていました。
だから、パパが飛行機に乗るような遠くに出かけたことに、
寂しさを感じてしまったのかな…
そう思ったわたしは、
息子が泣き止むまで、慰めて言い聞かせていました。
「パパは9月になる前に帰ってくるよ」
「パパに内緒でファミレスディナーしよう」
そんな約束をして、
やっと教室に入ってくれました。
追いかけようかな?と思った主人の乗った空港行きのバスは、
すでに出発からだいぶ時間が過ぎてしまっていて、
諦めてそのまま家に帰りました。
実はこの頃、
ちょうど一週間前くらいから、
つわりのような気持ち悪さが続いていて、
あまり体調も優れませんでした。
帰ってすぐベッドに横になりながら、
主人からの連絡を待っていました。
お昼を少し過ぎた頃。
うとうと浅い眠りをしているところに、
見慣れない着信番号から電話がかかってきました。
沖縄県内の市外局番。
どこからだろうと思いながら電話に出てみると、
その日の主人が予約していた便の航空会社の方からでした。
「○○さんでいらっしゃいますか?」
「わたしは家内ですが、主人は携帯を持っていないので、
わたしの番号につながっています。主人がどうかしましたか?」
「はい。ご主人、チェックインはされているのですが、
搭乗口にいらしていないのでご連絡差し上げました。」
えっ?
係員の方の話を聞きながら、
今朝、家を出る前に主人が言っていたことを、ふと思い出しました。
「空港着いたら、時間まで国際通りにでも行ってみるかな?」
主人は方向音痴なので、
国際通りから空港までの途中で迷って、
時間に間に合わなくなったのかも?
この時は、その程度に思っていました。
もし予約した便に乗れなくても、
自分でなんとかして別の便に乗るはずだし、
困った時はわたしに連絡してくるだろうし。
そうは思っても、本人と連絡が取れないとなると気になって、
何度か航空会社に連絡をしてみましたが…
どの時間帯の便にも乗っていないし、
別の航空会社を使った様子もありませんでした。
どうにかこうにかして東京には着くだろうから、
そしたら何食わぬ顔で連絡してくるんだろうと思っていたものの、
やっぱり連絡がなくて。
さすがに不安になり、
東京にいる身近な家族へ
状況を伝えておくことにしました。
主人が東京へ向かう予定だったこと。
乗るはずの飛行機に搭乗していないと
航空会社から連絡があったこと。
そして、
本人とまだ連絡が取れていないこと。
ひと通り伝え、
何か分かったら連絡をもらえるようお願いしました。
携帯電話がないと、
こんなにも不便なことが起きるのだと、
そのとき初めて実感しました。
主人は沖縄に移住したことをきっかけに、
デジタル断捨離をしていました。
一家に一台の黒電話、ならぬ
一家に一台のスマホ生活。
主人への連絡は、
すべてわたしの携帯にかかってくる。
そんな状態でした。
何かに縛られるのを嫌う人だったので、
携帯を持たず
南国沖縄から大都会東京へ向かうことが、
少し楽しみだったのかもしれません。
あるいは、
コロナ禍で仕事の状況が大変で、
連絡どころではなくなってしまったのかもしれない。
一日、連絡がないこと自体は、
出張が多かった頃には
決して珍しいことではありませんでした。
だからこの日も、
「きっと、いつものことだ」
そう思いながら、
わたしは眠りにつきました。
そのときのわたしは、まだ――
あの朝交わした言葉が、
主人との最後の会話になるとは思っていなかったんです。
あたりまえのように過ぎていくはずだった
その一日が、
どれほど特別なものだったのかを知るのは、
もう少しあとのことでした。
まさか――
もう二度と戻らないものになるなんて。
次回――
『いつものこと』だと思っていた

